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Vol.402 ゼッタイに潰れないお店 〜船は港から出航していた〜
代官山で仕事を終えての帰り道、小さな鞄屋さんを見つけた。
ガラス越しに中を覗くと、スラリとした色白の女性が鞄を手にとっているのが見えた。
喫茶店に糖尿病の部長を待たせていたが、そんな場合ではないと思い、さっそく店に入った。
すると、入るなり、その女性が声を掛けてきた。彼女は店のオーナーだった。ぼくが提げている鞄を見て、これはどこどこのナニナニですね、と言うのだが、ぼくはそういうことは疎いので、
「はあ、そうなんですか。拾ったものなので……」
「まあ、拾ったんですの?」
よく見ると嫌みなほどの美人である。
「いえ、買いました。でも、この店じゃないんです。すみません」
「わかってますよ。あなたでしたら忘れませんから」
相当な悪女だなと思った。
その口車に乗ってはならんと、ぼくの中の警報ブザーが鳴った。
「ところで、お時間ありますか? よかったら、ちょっとお鞄を貸していただけませんか?」
理由もわからないまま鞄を渡すと、彼女は革の保護クリームを出し、「こうして栄養を与えてあげるときれいになるんですよ」と言って、ぼくの鞄を丁寧に手入れしはじめた。
「あ、申し訳ないですよ、そんなことしてもらっちゃ」
「いいんですよ。私がしたくてしてるんですから」
心臓がドキドキしはじめていた。
ポケットの中で携帯がブーンと振動した。糖尿病の部長からだろうが、そんなものは無視だ。ぼくは店にあった一つの鞄を手に取った。
「これ、おしゃれですね〜」
「まあ、やっぱりそう思います? 気が合うと思ってたんです」
「え?」
「私も同じのを使っているんですよ。男性でも女性でも使えるんです」 そう言って彼女は、自分が使っている同じ鞄を出し、ぼくに一つを持たせて「お揃いね」と言った。
ぼくは“乗りかかった船“どころか、すでに“港から出航した船の上“だった。
というわけで、金も無いのにまた新しい鞄を買ってしまった。
あの店は彼女が店頭にいる限り、ゼッタイに潰れないだろう。
気づくと、小1時間が過ぎていた。
携帯には糖尿病の部長からの着信歴が、しつこいほど入っていた。
松井政就
'10, 4. 28
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松井政就(まつい・まさなり)
作家。長野県阿智村会地小学校早退。
主な作品:
★『ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている』(講談社プラスアルファ新書) ★『賭けに勝つ人 嵌(はま)る人』(集英社新書) ★ 『NO.1販売員は全員フツーの人でした。でも、売上げ1億円以上!なぜ?』 ★『ディーラーホースを探せ』 ★『経済特区・沖縄から日本が変わる』(以上、光文社) ★『神と呼ばれた男たち』等。 作品作りの傍らカジノプレイヤーとして海外を巡るほか、ビジネスアドバイザー、大学での講師などもたまに務める。
http://tjklab.jp/ |
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