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Vol.562 フェイスブックは時間の無駄か?


アメリカのオープンコミュニティ・ハブページに「フェイスブックは時間の無駄」という記事が掲載された。書いたのは人気コラムニストMark Ewbie氏。内容は多くのユーザーが薄々感づいていることで、サイトが行ったアンケートでも「96%の人が「フェイスブックは時間の無駄」と回答(2014年6月12日現在)。
しかし人々はフェイスブックに熱心だ。なぜなのか? 果たしてフェイスブックに意味はあるのか?


96%が「フェイスブックは時間の無駄」と回答

自分の投稿を誰も読んでくれない?

フェイスブックに投稿すると友達登録している相手の「タイムライン」に表示される。
しかしその投稿が他人の目に止まる可能性は実は低い。なぜなら他人のタイムラインに表示されているのはわずかな時間に限られるからだ。

フェイスブックのタイムラインは、まるで川が流れるかのように上から下に進んでいく。
どんな投稿も、まるで橋の上から落とした紙のように、あっという間に流れていってしまう。流れた紙はないかと、川下まで探しに行く人などないように、過去の投稿に遡る人はほとんどいない。
つまりフェイスブックの仕組みそのものが、投稿が読まれにくい作りとなっているのだ。

「いいね!」という名の「踏み絵」

もしユーザーがフェイスブックからストレスを感じるとしたらどんな時か。

Ewbie氏によれば、自分の投稿につけられたコメントが気になったり、返答を求められていることにイライラするようになったら、フェイスブックのやめ時だという。

新聞やネットの記事は、書きたい人が書き、読みたい人が自由に読むだけだ。感想を強要されることはないし、読んだかどうかをチェックされることもない。それは個人のブログも同様だ。

しかしフェイスブックは違う。「いいね!」という機能があるからだ。「いいね!」があることで“友達”の間に人間関係の格差が生まれるのだ。

「いいね!」を押した人は友好的な“友達”で、押さない人は友好的でないかあるいは読んでないと見なされかねない。つまり「いいね!」が踏み絵の役割を果たしているのだ。

告知ツールとしての実力は?

フェイスブックは日本上陸時、人とつながることが出来るツールとされていたが、現在はこうして人間関係を縛るツールと化している。

しかしマイナスばかり論じても仕方がない。
外部へのリンクにどれだけ飛んでくるかで、フェイスブックの告知効果を試してみることにした。

リンク先に選んだのは、フィギュアスケートに関する記事。そのリンクをタイムラインに貼った結果、数十件の「いいね!」が押された。

ではリンク先に飛んできた人は何人いたかというと、何とたった1人だった。


最も多くの「いいね!」を集めた投稿とは?

フェイスブックには何を書いても読まれない・・・。
よってぼくはフェイスブックをやめることにし、最後の投稿をした。

「本日をもちましてフェイスブックをやめることにしました。みなさん、さようなら」

すると、
この投稿が過去最多の「いいね!」を集めたのだった。

何だか癪にさわり、ぼくはまだ退会に至っていない。


(追記※本文中で友達にあえて(“ ”)をつけているのは、フェイスブック上の“友達”が、本当の友達ではなく、単なる閲覧者という意味に近いため)

2014. 6. 12

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