汚染物質の対策工事が約束した通りには行われていなかったなど、様々な問題が発覚し、移転が延期となった豊洲新市場。いまだ責任の所在がうやむやにされるなど無責任な体質が浮き彫りとなっているが、その問題は昨年日本中から批判され当初案が白紙撤回された新国立競技場とよく似ている。
【1】理念の欠如
一つめは、何をするための事業かという「理念」が失われたこと。
いま世間を騒がせている豊洲新市場問題はまさにその典型である。
有害物質で汚染された土壌の安全性を100%コントロールする技術があると仮定すれば、その上に市場を作ることも「技術的には可能」かもしれない。
だが、どんなに安全と言われても、市場という「食べ物を扱う場所」を、膨大なお金と手間を掛けてまで、わざわざ有害物質に汚染された土地に作ることには、私たち一般人から見て、食べ物を扱う上での理念に反すると思われる。
一方、昨年問題となった新国立競技場も理念の欠如がきっかけだった。
「スポーツの祭典」を行うスタジアム作りのはずが、途中から、セキュリティの見本市にすべき、最新技術の実験場にすべきといった、まるで「土木建築の祭典」のような議論になった。
その結果、建設費だけで2500億円超という常識では考えられない額に達した。
【2】情報公開の不備
問題を深刻にしているのは、情報がきちんと公開されないことである。
豊洲に関し、都の担当者は、汚染対策の盛り土を計画通りに行っていないことを数年前より承知していたにも関わらず、都民はもちろん、築地市場の関係者に対しても盛り土をしていると虚偽の説明を続けてきた。
また建設費用が計画を大幅に超える額になっていることの説明も十分に行われていない。
新国立においても同様だ。
当初案における決定プロセスをはじめ、何が理由で工事費が巨額になったのかが納得がいく形で明らかにされないまま、当初案は白紙撤回となった。
実はその費用増大の部分は豊洲の工事費増大と問題の構造がそっくりである。もし新国立の件で問題点を放置せず、きちんと明らかにしておけば、豊洲の件も早く明らかにできたかもしれない。
【3】責任の所在がうやむや
豊洲の問題について、誰がいつ判断したかが全く明らかにされないばかりか、当時の責任者の誰もが「知らなかった」と口を揃える様子は、我々一般人の目には異様に映る。
新国立についても、責任の所在が不明のまま当初案は撤回され、新しい案が採用されたが、その案においても聖火の設置場所が想定されていないなど問題点が発生。
つまり、スタジアム建設の「グランドデザイン」を総合的に監督できる責任者がいないことが露呈された。
【4】正論・原則が封じられてきたこと
豊洲と五輪はあくまで別個の事業だが、東京都はそのどちらにも関わっているため、その首長である東京都知事には深く関わる権限がある。
そのポジションに小池百合子氏が就いたことが、「パンドラの箱」が開くきっかけとなった。
小池氏が本部長を務める都政改革本部は、当初予算を大幅に超える予算となる会場のうち、とくにカヌー・ボート会場の「海の森水上競技場」を埼玉あるいは宮城県の既存のボート場に移す考えなどを明らかにした。
その際小池氏は、2020東京五輪はそもそも東日本大震災からの「復興五輪」だったはずと指摘した。
まさに正論である。
市場および五輪施設に関し、本来どうあるべきか、何のための事業かという原則に立っていれば、一連の問題は防ぐことができたかもしれない。
2016.9.12
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