映画「君の名は。」とフィギュアスケートとの意外な共通点
空前のヒットが続く新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」興業収入は今や130億円を突破し、歴代の邦画で現在6位に食い込む快挙となっている。この映画の魅力は既に様々語られているが、実際に映画館に見に行ってみたところ、意外なものとの共通点に気づかされた。
それはフィギュアスケートである。
その話に入る前に、まずはこの映画について簡単に触れておこう。
日本人になじみのある設定
「君の名は。」は、田舎町に暮らす女子高校生と東京に暮らす男子高校生の心がある日突然入れ替わってしまうところから話が始まる。
日本にはこのテの話が以前からあった。
まずは古典に『とりかえばや物語』があり、映画では男女の心が入れ替わる大林宣彦監督の「転校生」、小説でも娘の体に死んだ母親の魂が入り込む東野圭吾作の『秘密』など日本人にはなじみのある設定と言える。
ストーリーも起伏に富み、どんでん返しが起きたと思ったらそれがひっくり返され、まさかそうだったとは・・・と思ったところにさらなるどんでん返しが起き、観客はスクリーンに釘付けになる。
主人公に観客が祈りを重ね合わせる
この映画がひと味違うのは、主人公の運命に観客が祈りを重ね合わせたくなる点だ。
映画なのだから主人公の行く先は見守るしかないが、この映画では、主人公にこうなってほしい、こうしてあげたいという祈りに似た気持ちがわき起こる。
ポイントは3つ。
「秘密の共有」
「大切なものを失う切なさ」
「奇跡への願い」
人は生きてくる中でこれらを経験するが、主人公の運命の切なさゆえ、自分の経験と重ね合わせ、映画の中に入り込んでしまう。
それに一役買っているのは挿入される音楽だ。
クライマックスの時、RADWIMPSの挿入歌が流れるが、そこにはこんな歌詞の一節がある。
<うれしくて泣くのは君の心が君を追い越したんだよ>
これから見る人の楽しみを奪うわけにはいかないので、あまり詳しく書けないが、これは主人公の気持ちであると同時に、この映画を見た人の心情そのものとも言える。
物語としてのリアリティ
でもなぜ、数ある映画の中でこの映画が爆発的に支持されているのか。
それは物語のリアリティにあると思われる。
ただしそれは、この物語が事実かどうかという意味でのリアリティではない。
物語におけるリアリティとは、科学的な事実かどうかではなく、あくまで物語の世界観の中での本当らしさである。
物語の中で主人公には幾つかの出来事が起きるが、それがたまたま起きるのではなく、一つの出来事が次の出来事の引き金となる形で必然的に起きていくのが物語の世界におけるリアリティだ。
一度見たらもはや他の展開など考えられなくなるほど現実感をもって物語の展開を受け入れられた時、人はその物語にリアリティを感じる。
その点においてこの映画には意外なものと共通点があると言える。
フィギュアスケートである。
フィギュアスケートとの共通点
フィギュアスケートはジャンプやスピン、スパイラル、ステップなどが絡み合う、技術性と芸術性を合わせ持つ競技だ。
高難度のジャンプを連発すれば、ジャッジの仕組みによってそれだけ合計点は上がることになる。
だが、点数さえ高ければ見ていて感動するかと言えば必ずしもそうではない。それはフィギュアファンなら誰でも知っていることである。
難しいジャンプを跳んでいればいいわけでなく、演技の冒頭から終わりまで前の要素と次の要素が必然性をもって構成され、この楽曲にはこの演技しかないと確信されられるほどのシンクロが起きた時、人々はその世界観に感動し、リアリティを感じる。
”あの出来事”を想起させるメッセージ
これは映画にも通じるものだ。
「君の名は。」は普通のアニメであり、人気俳優を使った実写でもないし、手の込んだCG(コンピュータグラフィック)でもない。
にもかかわらず人の心をつかんだのは、物語の持つメッセージが見る人自身のストーリーに触れたからだろう。
人は誰しも生きてくる中で、こんなことがあればいいが現実には無理だという切ない気持ちを持った経験がある。つまりそれは自分なりのストーリーである。
この映画の中にも、日本人であれば忘れることの出来ない出来事が伏線として張られている。その、変えることの出来ない過去への思いに、この映画は語りかけてくる。
フィギュアを見て感動するのも、その選手を応援してきた自分なりのストーリー抜きには語れないのと同じく、この映画でも、主人公が奇跡を起こそうと必死で行動する姿が私たちのストーリーに触れることで、この映画が作りものではなく本当に起きたことを描いているのではないかというリアリティをもたらしている。
終わってもなかなか席を立たない観客
映画の感想は、言葉で聞くより終わった後の観客を見ればわかるものだ。
かつて「シンドラーのリスト」では拍手が湧いた。「ミッション・インポッシブル」ではテーマソングに合わせて体を揺らしながら出ていった。
そして「君の名は。」ではエンドロールが終わっても観客はなかなか席を立たなかった。やがて館内に照明がつけられ、ようやく人々は腰をあげたが、アニメを見たあと、まるでうれし泣きのように目を赤くしている人がこれほど多かったのはあまり記憶にない。
2016.10.10 松井政就
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