『神と呼ばれた男たち』 松井政就著 



 
『神と呼ばれた男たち』 第11章

 真崎義博 〜その文体にチップが踊る〜

 人々を魅了する海外作品の数々。そこに書かれた言葉は心を打ち広く愛されている。読者を惹きつけるのはもちろん作家自身の感性であり表現であるが、読者が読むのは実は作家自身の言葉ではなく「翻訳家」の言葉である。読者は翻訳家の言葉を通して海外の作品を楽しむのだが、そのことを意識する人はあまりいない。 歴史に残る文学作品はもちろんのこと、記憶に残る海外作品のおよそすべては翻訳家の手にその正否が委ねられてきたと言ってもよい。それはエンターテインメントも同様だ。

 エンターテインメント作品の生命線は読者を飽きさせないことである。物語の冒頭で読者の心を掴み、話の先が気になるあまりに読むのを止められなくさせておき、ラストに向けて突っ走る。元のストーリーの良さは当然としても、読者の心を支配するためには翻訳家には神経質なまでの配慮が求められる。 ハリウッド映画が面白かったから原作を読んでみたが今ひとつだったという経験を持つ人もいるだろうし、ある作品の和訳版が面白かったのでオリジナル版にも手を伸ばしてみたところ、まるで違うトーンの作品だったという経験もあることだろう。 前者の場合は、映画という表現手法が原作のもたつきをカバーした例であろうし、後者の場合はその海外作品の良さを日本人の感性に合わせて日本語化した翻訳家の勝利といえる。

 つい長い前置きになってしまったが、なぜそんな話を持ち出すかというと、海外作品の中には往々にして、素材は良くてもシーンの合間に作家自身のフィロソフィーが介入し過ぎたり、クライマックスに向かうストーリーに作者の蘊蓄が割り込み過ぎ、熱狂したい読者の気持ちに急ブレーキをかけるものがあるからだ。 そうした難をできるだけ解除し、読者がストーリーに没入できるように再構築しているのが翻訳家である。つまり翻訳家はたんに外国語を訳すだけでなく、物語りの語り部の役割も演じているのである。

 真崎義博氏はその代表の一人である。彼が語り部として翻訳した作品は数限りない。ジャック・ケルアック著『地下街の人びと』(新潮文庫)カルロス・カスタネダ著『呪術師と私-ドン・ファンの教え カルロス・カスタネダ著作集』(二見書房)などは店頭の常連であるが、リチャード・マーカス著『カジノのイカサマ師たち』(文藝春秋)やマイケル・コニック著『ギャンブルに人生を賭けた男たち』(文藝春秋)等のギャンブル作品も彼の翻訳した代表作と言える。 特に『カジノのイカサマ師たち』は逸品だ。読み始めると、まるで事件の起きているテーブルにいるかのように鮮明に情景が思い浮かぶ。物語の現場となったカジノの様子がありありと浮かび上がってくるのだ。




(全文は本誌にてご覧ください)


松井政就(まつい まさなり)
作品作りの傍ら、カジノプレイヤーとして海外を巡るほか、ビジネスコンサルタント、大学講師等を務める。主な作品『賭けに勝つ人 嵌(はま)る人』(集英社新書)『経済特区・沖縄から日本が変わる』(光文社)『ディーラーホースを探せ』(光文社)等。

 
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